日本 第二次世界大戦中、日本と欧州の関係を中心とする論文を公開 瑞西

2000年1月20日開設
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論文風ノンフィクション 
戦前のあるレーモンドの別荘に関する考察  旧軽井沢に終戦時レーモンドの所有とする別荘があった。ブログ(3月22日)
終戦時、軽井沢のアメリカ人資産 Part 1  軽井沢にアメリカ人が所有していた資産の完璧なリストが見つかりました。ブログ(3月10日) 
終戦時、兵庫県のドイツ人資産  これまでほとんど取り上げなかった兵庫県に関しての考察です。ブログ(3月1日) 
終戦時、箱根方面のドイツ人資産  終戦直後、GHQが没収した箱根、山中湖方面のドイツ人資産に関する考察です。ブログ(2月23日) 
終戦時、東京のドイツ人資産   終戦直後、GHQが没収した東京のドイツ人資産に関する考察です。ドイツ大使館なども対象です。ブログ(2月18日) 
終戦時、軽井沢のドイツ人資産  終戦直後、GHQが没収した軽井沢のドイツ人資産に関する考察です。ブログ(2月7日) 
終戦直後、横浜のドイツ人不動産  終戦直後、GHQが没収したドイツ人資産の位置と所有者をまとめました。ブログ(2月1日)
終戦後、ドイツ人の軽井沢からの引き揚げ  ドイツ人が軽井沢駅から引き揚げる様子をカメラマンの幅北光が見ていた。ブログ(1月19日)
ドイツ人・ハンス・シュトルテさんの体験した戦時下の日本  戦後神奈川県の栄光学園で教壇に立ったシュトルテさんの体験談 ブログ(2024年1月13日) 
戦前のドイツ大使館の建物に関する考察  GHQの史料に敷地内の建物の配置図、写真を見つけました。ブログ(12月30日) 
戦時下の「ドイツ人学校神戸」の疎開 東京、横浜のドイツ人学校に続き、神戸を調べました。 終戦直後の写真もあり。ブログ(12月27日) 
戦時下日本のドイツ企業  第二次世界大戦が始まって2年目の1942年、依然日本で活動するドイツ企業を取り上げた。ブログ(12月18日) 
新刊のご案内   23年11月29日 8冊の『第二次世界大戦下の滞日外国人(ドイツ人・スイス人の軽井沢・箱根・神戸)』を発売しました。
根岸外国人墓地での墓前祭  23年も私が日本側を代表して挨拶しました。 ブログ(11月20日)
旧軽井沢にあった「軽井沢温泉」  戦前の地図に「軽井沢温泉」とあるのを見つけ、調べてみた。 ブログ(11月11日)
横浜山下町、旧居留地の遺構を残す現代の建物群  横浜山下町のマンションには戦前の建物の遺構を残している所が多い。ブログ(11月9日) 
戦前の横浜のドイツ人経営飲食店  京にはケテル、ローマイヤーといったお店があったが、横浜はどうだったのか調べた。ブログ(10月23日) 
レーモンド建築「戦前・戦後」見学会に参加して  軽井沢のレーモンド別荘「新スタジオ」の内部を見学してきた。ブログ(10月13日) 
日独文化団体の歴史   「日独協会」、「日独文化協会」、「ドイツ文化研究所」など、それぞれを紹介。ブログ(10月8日) 
「ぶらドイツ(横浜編)」のツアーガイド  以前に同タイトルで講演を行い、今回はその現場訪問の位置づけ。ブログ(9月22日)
河口湖でのヒトラー追悼式 ヒトラーの死を受け、東京のドイツ大使館と河口湖の出張所で追悼式が行われた。ブログ(8月21日) 
野尻湖で終戦を迎えたドイツ人「東京のシンドラー」 戦時下の日本にも「シンドラー」と並び称されるドイツ人がいた。ブログ(7月19日) 
ヒトラーユーゲントの軽井沢訪問  1938年8月、30名の若いドイツ人が軽井沢駅に降り立ちます。ブログ(7月13日)
心の糧(戦時下の軽井沢)」トークイベントが信濃毎日新聞で紹介  当日の模様が新聞でかなり詳しく紹介されました (6月15日) 
トークイベントHor mal zu!のご案内  6月28日、テーマは「第二次世界大戦と在日ドイツ人」です。 日独協会のサイト(6月8日)
欧州邦人気になる人 ビュルガー・ジェンヌ  興味深いこのドイツ女性に関して、新しい情報を入手しました。 ブログ(6月2日) 
心の糧(戦時下の軽井沢)」トークイベントのご案内  6月11日16時から軽井沢書店で開催です。 
箱根で終戦を向かえたドイツ人   ドイツ人が最も多く疎開した箱根地区についてです。ブログ(5月6日) 
茅ケ崎で終戦を向かえたドイツ人  茅ケ崎は大正時代まで「ドイツ村」があった、ドイツ人に縁のある土地です。ブログ(4月12日) 
終戦時まで東京に残留したドイツ人  後まで残留したドイツ人の規模と特徴を分析しました。 ブログ(3月29日)
 ゾルゲ事件関係者と軽井沢 ゾルゲ事件で逮捕された4人の外国人の軽井沢との関わりを調べました。ブログ(3月18日) 
 第二次世界大戦下、ドイツ大使館の疎開 疎開地河口湖に向かう経緯、敗戦後などを紹介 ブログ(3月4日) 
 新刊のご案内   23年2月22日 7冊の『続続 心の糧(戦時下の軽井沢)』 を発売いたします。
新刊のご案内 『続続 心の糧(戦時下の軽井沢)』  筆者通算7冊目、「戦時下の軽井沢」シリーズの3冊目です。(2023年2月22日)
書評と考察:外務官僚たちの太平洋戦争 自分の研究(終戦史、欧州邦人)の参考のための読書から  ブログ(2023.1.30)
『西村ナナと戦時下の軽井沢』  文化学院の創設者、西村伊作の7番目の子供、ナナの語った軽井沢 ブログ
書評:語る歴史、聞く歴史― オーラル・ヒストリーの現場から 自分も時々行うインタビューの参考にと読んだ本の感想 ブログ 
由比ガ浜のドイツレストラン、シーキャッスル 閉店へ  2023年、本年もよろしくお願いします。この記事は昨日だけで1600人以上のアクセスがありました ブログ
門柱に見るかつての軽井沢別荘  門柱という別荘の細部から軽井沢の歴史を探りました ブログ 
第二次世界大戦下の欧州邦人(フランス編) 補遺  「ジュネーブ日本人会」の古い会報から、戦時下のラジオパリの日本に関する放送を紹介  ブログ
『パリの日本料理店 牡丹屋をめぐって』補遺   拙著発行後あまり日は経ちませんが、新しい資料が見つかりました。ブログで紹介
なぎさホテルから軽井沢のマンロー病院へ   桑田佳祐が「なぎさホテル」という新曲をリリースしたのを受けた私の着想です。 ブログへ
建築当初(1935年)の軽井沢の聖パウロ教会 建築当時の写真、エピソードを紹介。ブログへ 
雑司ヶ谷の元宣教師館訪問と、宣教師館に関する考察  歴史的建造物として残る各地の司祭館の戦時下について調べました。 ブログで紹介
講演会のご案内  10月15日(土)の講演「メッツガー家の在日100年の歴史とチターの調べ」のご案内。 ブログで紹介
パリ残留邦人 長谷川潔の版画展  敗戦時にパリに残留した版画家の展示会が開催されました。ブログで紹介
 片岡山荘(旧鈴木歯科診療所)のルーツを探る 軽井沢に夏だけ開設された歯科医の別荘の話です。 ブログで紹介
「天羽英二日記」に見る戦時下の軽井沢  外務省高官が訪れた終戦直前の軽井沢の様子ですブログで紹介
書籍のご案内  7月8日、6冊目の「第二次世界大戦下の欧州邦人(フランス編)」を発売します。
「ベルリンオリンピックの証人」補遺  映画「民族の祭典」に登場した日本人のエピソードです。ブログで紹介 
演出家土方与志と細谷資芳海軍武官  パリに亡命中の『赤い伯爵』土方与志に帰国を説いたのは、、、 ブログで紹介
軽井沢深山荘とスイス外交文書  スイス外交文書から、軽井沢のスイス公使館であった深山荘に関する考察を行いました。 ブログで紹介
開戦直後の横浜の外国人  山手に暮らした多くの米英人が開戦と同時に抑留され、交換船で帰国しする。ブログで写真と共に紹介
軽井沢の旧スイス公使館深山荘と周囲の外交官  少し前の訪問記の後半に最新の調査結果を追加しました。  ブログで紹介
安宅弥吉の軽井沢の別荘と横浜の修道女 他一遍   安宅産業創始者の別荘はシスターの疎開用に貸し、自分らは疎開できなかった。 ブログで紹介
軽井沢へ疎開した外国人(ホテル編 軽井沢では戸建て別荘だけでなくホテル、旅館を疎開先にした外国人もいました。 ブログで紹介
ウクライナ情勢から想起した1939年の邦人引き揚げ勧告  1939年8月24日ベルリン日本人会が発行した引き揚げ勧告の史料が見つかりました。ブログで紹介
エアハルト・ラングの体験した戦時下の横浜・軽井沢  戦前から横浜、菊名で布教を始めたラング一家の体験記。ブログで1〜4部で紹介 
邦人のワルシャワ引き揚げ(1939年9月)  ウクライナ国境沿いのソ連軍の映像を見て、同様に大国に挟まれたかつてのポーランドを思いました。ブログで紹介 
映像に残る欧州邦人  You Tubeなどの動画の中に映りこんだ欧州邦人を紹介します。(2022年2月4日  リンクをアップデートしました) 
 続 心の糧(戦時下の軽井沢)  GHQが撮影した写真を元に、戦時下、終戦直後の軽井沢を紹介 
講演会のお知らせ(12月22日更新) 2022年1月29日(土)「第二次世界大戦下の欧州邦人」というオンライン講演を行います。ブログで紹介
日本郵船 欧州航路を利用した邦人の記録 補遺 (12月18日更新)  日本郵船歴史博物館の企画展「船の上でよーい、ドン!」を訪問した印象と類似の写真紹介
 関口俊吾の墓地の写真 (11月26日更新)    パリ在住の方からモンパルナス墓地の関口のお墓の写真を提供いただきました。 
GHQの記録に見る終戦直後の軽井沢 (11月18日更新)    珍しい終戦直後の軽井沢の別荘の写真。6番目に「イギリス人貿易商B.R.ベーリックの別荘」を加えました。
第2次大戦の欧州を生きた日本人  私の30年に渡るこのホームページの活動が、日本経済新聞に取り上げられました。
心の糧(戦時下の軽井沢) 補遺 日本人編   (10月11日更新)   「内山章子 後藤新平の孫」をアップしました。
GHQの記録に見る終戦直後の東京、横浜 (8月30日アップ)   「終戦直後の横浜・山手の写真」をアップしました。
マッカーサーの横浜の宿舎を探し歩く (7月29日更新)  GHQナンバー2、アイケルベルガー将軍の横浜山手の住居について情報を追加しました。 
心の糧(戦時下の軽井沢) 補遺 外国人編   (7月29日更新)   『心の糧(戦時下の軽井沢』 書籍化後に見つけた史実を外国人を中心に随時紹介。  
書籍のご案内  (7月17日アップ)  「日瑞関係のページ」から書籍化した5冊の本の紹介です。 
GHQの記録に見る終戦直後の東京、横浜 (6月24日アップ)  第一弾として横浜のクルップ・ゲルマニア、ドイツ人学校の写真を紹介します。 
心の糧(戦時下の軽井沢)  トークショー (6月15日アップ)  7月10日、軽井沢書店でトークショーを開催します。 
日本郵船 欧州航路を利用した邦人の記録 補遺 (4月19日更新)  『日本郵船 欧州航路を利用した邦人の記録』書籍化後に、発見した史実を随時紹介していきます。  
第二次世界大戦下の欧州邦人(イタリア編)補遺 (4月6日更新)   表題の本の出版後に発見した史実を紹介します。  
パリの日本料理店 牡丹屋をめぐって   入手した新史料を基に内容を充実させました。
パリ時代の小松ふみ子  戦時中パリに留学した小松ふみ子、新しい史料に基づき3回目の紹介です。 
第二次世界大戦下の欧州邦人(イタリア編)    戦時下のイタリアに暮らした日本人の体験記を5編と、重光綾子さんを収録した書籍が2月16日にアマゾンから発売されます。
戦時下、横浜に暮らした外国人の受難   久しぶりの長編の新作です。
日本郵船 欧州航路を利用した邦人の記録 書籍版   書籍化され、アマゾンでお求めになれるようになりました。 
『心の糧(戦時下の軽井沢)』 書籍版    書籍化され、アマゾンでお求めになれるようになりました。 
戦時下のイタリア、日本大使館のいちばん長い日  終戦時イタリア大使館はスイスへ亡命を図ろうとした。メンバーの一人外山一青が、その行動を詳細に残していた。 
活動の報告 筆者がホームページ『日瑞関係のページ』に関連して、どのような活動を行ってきたか整理しました。  
欧州邦人気になる人第8回 浅田スマ子   戦前に家庭を捨ててパリに渡りそのまま留まる。敗戦後はパリで日本からの留学生相手に食堂を開いた日本女性、浅田スマ子の物語。 
心の糧(戦時下の軽井沢)  ご自身も軽井沢で過ごしたハンガリー人、トム・ハールさんより、沢山の外国人の英語の
手記を提供頂き、内容がグンと充実しました。
 
 欧州邦人気になる人 小松ふみ子 再び  戦後まもなくアメリカに渡った後のふみ子の消息が、英語の史料から見えてきました。  
欧州邦人気になる人第7回 中西賢三   久しぶりのシリーズは、戦前のベルリンで武者小路大使より有名であった日本商店主中西賢三です。 
日本郵船 欧州航路を利用した邦人の記録  公開後7年に渡り情報を加えてきました。それらを整理すると共に、スマホ対応にしました。ぜひスマホでご覧ください。  
フランツ・メッツガー(Jr)の体験した戦時下の横浜、野尻湖 ドイツ人フランツ・メッツガー(Jr)の体験した戦時下の横浜山下町と野尻湖の貴重な記録。 
パリで敗戦を迎えた日本人   1942年1月に作成されたパリの「在留邦人住所録」。それをベースに、現地に根付いた邦人の足跡を追う。  
「開国初期のアメリカ大使館の推移」(ブログへ)    東京、横浜に残る初期のアメリカ大使館、領事館の痕跡を探し歩きました。
日本の宣戦布告と横浜の敵国外交官  日本が米英に対して宣戦布告を行ってから、横浜に駐在していた外国人、特に外交官はどのように扱われたのか?  
マッカーサーの横浜の宿舎を探し歩く   マッカーサーは横浜滞在中の宿舎は山手だったのか?それとも旭台なのか?
これまで2説存在するが、今回終止符を打つ。 
長延寺と初代オランダ領事館の痕跡  今も神奈川通東公園に残る石碑の建立経緯を探り、初代オランダ領事が使用していた
織布にたどり着いたエピソードを紹介。 
 
戦時下のバンドホテル  今はない横浜の名門バンドホテルを、戦時中に利用した外国人の姿を紹介。  
戦時下、小林亀久雄公使のアフガニスタンへの道  小林公使はジュネーブ総領事からアフガニスタン公使を命じられ、苦労して着任するが早々に死亡する。  
戦時下、横浜の外国人(ブログへ)   当時の新聞などで見つけたエピソードを元に、個人別にブログでまとめました。 
日本の蘭印引き揚げドイツ人婦女子 あまり知られていない戦時下の日本で暮らした蘭印引き揚げドイツ人婦女子について調べました。  
ビュルガー・ジェンヌ  戦時中は日本企業で働いたジェンヌに関して、関係者から興味深い写真の提供がありました。  
森利子さんの体験した戦中の横浜・山手  ドイツ商社の草分けアーレンス商会の末裔、森利子さんの語る戦中の横浜・山手での生活を紹介。 
横浜山手町今昔(いまむかし)(ブログへ)   横浜山手の旧外国人居留地に戦時中暮らした外国人と、現在の山手をスマホ対応に開設したブログで伝えます。 
満州国参事官 三城晁雄のアルバム  お孫さんに残したアルバムの写真とコメントから、三城一家の欧州での足跡を検証。 
講演『軽井沢の思い出』  2018年8月4日に軽井沢のルヴァン美術館で行われた貴重な講演の記録。 
「日瑞関係のページ」(補足版)開設  ブログで特に横浜の戦時下の外国人を紹介します。別にする理由の一つはホームページで使用できる
データ容量が限られているからです。(2020年3月)
 
「西村伊作とその娘たち」展開催  6月10日より軽井沢のルヴァン美術館で始まりました。私も開催に向け協力しました。ぜひ訪問ください。 
吉村侃 戦時下、アメリカ人の上司の下で働いた銀行家  戦時中、中立国スイスで暮らした銀行家の珍しい体験を紹介。 
商務官小室恒夫とイタリア潜水艦で死亡した陸軍軍医中佐  文官でありながら潜水艦で帰国しようとした小室商務官と、陸軍軍医中佐の話です。 
日本人小学生の体験した戦時下のイタリア  私が左記作品で紹介した、ムッソリーニに頬を撫でられた少女が、NHKのEテレでその様子を回想します。
2018年1月6日(土)23:00〜23:59 Eテレ ETV特集「よみがえるアーカイブ 第1回 日本とイタリア」
 
ドイツ人音楽家エタ・ハーリッヒ・シュナイダーが見たリヒャルト・ソルゲ 回想録にはゾルゲに関する記述が多く登場する。しかしこの本は邦訳されていないため、その内容
はこれまでほとんど紹介されることはなかった。
 
パリの日本料理店 牡丹屋をめぐって  戦前からパリで営業し、終戦直後の邦人がほとんどいない状況下、営業を再開させた牡丹屋の紹介です。 
ハンブルクの日本人墓地と戦時下の総領事館  1944年ハンブルクの公園墓地に日本人の墓が建てられた。そこに埋葬されている人物は? 
戦時下フランス、全女子留学生の写真  1942年8月にパリ近郊で撮影された、日本からの女子留学生の写真に写る人物を特定し、彼女らの戦後を追った。
戦時下日本のスイス人  ゴルジェ公使とファーブルブラント家を中心にまとめました。『外事月報』という少しユニークな資料を参考にしました。 
『暗黒日記』に見る欧州邦人のそれから  戦時下の欧州から日本に戻た邦人は、国民に何を語ったか?清沢洌の『暗黒日記』から読み解く (短編)  
横井喜三郎 ロシアに最初の日本商店を開いた男   モスクワに最初の日本商店を開き、ベルリンで終戦を迎えた日本人の活躍を紹介。  
(続)戦時下の日本とスイスの交易は中立違反?  『1945日本占領』(徳本栄一郎)を元にした、スイスの横浜正金銀行口座に関する考察です。 
『細雪』とドイツ人 第一部  これまでと毛色が変わりますが、谷崎潤一郎の小説の中のドイツ人を探りました。  
『細雪』とドイツ人 第二部  2部では、ドイツ語、ドイツレストランなどを取り上げました 
心の糧(戦時下の軽井沢)第一部   戦時下の軽井沢に暮らした外国人、日本人についての記録です。長いので2部構成になっています。 
心の糧(戦時下の軽井沢)第二部  第二部です。終戦前後の緊迫した様子を伝えます。 
野原駒吉  赤十字駐日代表部に勤務した野原某は、ドイツの野原駒吉と同一人物か?  
マルガリータ・ストレーラー余話(山下町本村通りと商館)  ストレーラーの調査を進める中で気づいた、興味深い事実を紹介。「今の本村通り」を追加しました。(2017年2月28日) 
マルガリータ・ストレーラー  赤十字国際員ジュノー博士と共に来日したスイスの女性は、横浜外人墓地に眠る 
バッゲ駐日スエーデン公使のスイス訪問  ”バッゲ工作”で知られる元駐日スエーデン公使のスイス訪問について考察しました。 
欧州邦人気になる人(第6回) バーバラ寺岡と寺岡洪平  料理評論家のバーバラ寺岡さんは、外交官寺岡浩平さんの長女で、欧州戦争の”最後”の体験者です。
欧州邦人気になる人(第5回)  小松ふみ子  戦時下フランスに留学していた小松ふみ子は、戦後まもなくして、なぜかアメリカに渡る。 
「石垣綾子日記」に見る終戦直後の渡米日本人  「戦後初の渡欧者」に続き、終戦直後にアメリカに向かった日本人を調べました。 
氷川丸に欧州航路のイメージを求めて  重要文化財に指定された現在の氷川丸の写真を撮り、往時の靖国丸と比較し、類似点を探しました。 
戦後初の渡欧者を求めて  終戦直後の日本から欧州に向かった日本人を中心に調べました。筆者初の戦後ものです。 
西村ソノー戦時下の欧州を勇気と美貌で生き抜いた女性  文化学院創始者西村伊作の4女、西村ソノの戦時下の欧州、および終戦直後の日本での活躍を紹介
さらにご本人より写真を提供いただいております。
諏訪根自子のウィーンでのコンサート  当時のウィーンの新聞から、諏訪根自子のコンサートの記事を探し出しました。 
安益泰の活躍した戦時下の欧州  江原綱一の繋がりから、作曲家兼指揮者安益泰について調べ、書きました。 
江原綱一とリヒャルト・シュトラウスのスケッチブック  満州国参事官江原と作曲家リヒャルト・シュトラウスの交流について書きました。 
書評 「1945 予定された敗戦」 小代有希子  終戦史について新しい視点から書かれた本の書評です。
「あけぼの」の経営者、杉本久市の足跡を追う  筆者が調査を続けてきた「あけぼの」の経営者の親族の方から話を聞けました。(写真も紹介) 
戦前のベルリン日本人学校に関する新たな考察  戦前の日本人学校、靖国丸による引き揚げに関する新たな考察です。 
諏訪根自子 ドイツでの慰問公演についての新事実と考察 ベルリンでの諏訪根自子について新事実を発見しました。 
欧州邦人 気になる人(第4回) 藤村義一中佐の盟友 ポール・ブルーム 藤村のスイス和平工作時に、アメリカ側のメンバーであったポール・ブルームに光を当てました。 
映像に残る欧州邦人  You Tubeなどの動画の中に映りこんだ欧州邦人を紹介します。(2016年4月17日更新)
書評“「スイス諜報網」の日米終戦工作―ポツダム宣言はなぜ
受けいれられたか”の補足
 
有馬先生の反論文を受け、補足と言う形で私の考えを再度説明いたします。 
有馬哲夫先生の反論文 「スイス諜報網」の日米終戦工作の著者、有馬哲夫先生の筆者の書評に対する反論文をそのまま掲載いたします。 
重光綾子さんがスイス終戦時の体験をお話します。  『久米宏 ラジオなんですけど 戦後70年スペシャル 〜 海の向こうでむかえた1945815日』ぜひお聞きください。
書評 「スイス諜報網」の日米終戦工作 有馬哲夫 今回も辛口に、とても興味深いタイトルの本を丁寧に分析しました。 
敗戦ドイツの首都に残る ソ連軍に制圧された首都ベルリンに残った邦人について調べました。
最新の更新情報 新しく書き加えた部分の紹介と、短いエッセイ 
満州国参事官 江原綱一と”ストラディヴァリウス”  江原綱一が戦後日本で受けとったとされる”ストラディヴァリウスの話の真実に迫ろうとした、、、
戦時下、欧州からの手紙 (第二部) 犬丸秀雄  文部省に勤務した犬丸秀雄の郵便にまつわる話を追加しました。 
書評「諏訪根自子」萩谷由喜子とおそらく未発表史料からの考察  諏訪根自子に関する未発表の証言資料などから根自子像をとらえてみました。 
ベルリン それぞれの1945年元旦   ドイツ降伏直前の正月の在留邦人はどう迎えたのか、記録を集めました
書評「諜報の神様」と呼ばれた男  「連合国が恐れた情報士官小野寺信の流儀」の副題が付けられた本の書評です。 
徳永太郎.下枝−若い外交官とその妻は、いかに欧州戦争を
体験 したか? その後 パート2
 
長いタイトルですが、筆者が最初に調査した徳永夫妻について、古い情報を探してみました。
徳永夫妻には今も特別な思い入れがあります。
 
書評「ドクター・ ハック 中田整一」  立派な本が出ました。しかし筆者の感想は、、、
吉川春夫中佐 最期のメニュー ドイツから譲渡された潜水艦呂501号で日本に向かう前の晩に書き残した吉川中佐のメモから、
中佐の胸に去来した想いに迫りました。
 
欧州邦人 それから  筆者がすでに紹介した人物に関し、その後判明した事実の紹介です。(徳永太郎、山路綾子、山路章、浅井一彦) 
書評「東条英機の親友 駐独大使 大島浩」 中川雅晋  また辛口の書評です。 
戦時下、欧州からの手紙 (第二部)   先に紹介した「末松茂久少佐の戦時日欧通信記」の続編です。 
戦時下欧州の日本人学校  戦時下の欧州で営まれた日本人学校についてオムニバス風にまとめ、考察しました 
末松茂久少佐の戦時日欧通信記 日欧の連絡路の途絶えた戦時中、様々な手段で欧州から日本に送られた末松少佐の手紙から、日欧通便事情を考察。
書評「私が最も尊敬する外交官」 佐藤優  ナチスドイツの崩壊を目撃した吉野文六、時代考証的なコメントをひとつ 
米軍接収文書の中の杉本勇蔵 敗戦ドイツで接収された日本、満州国の外交文書に杉本勇蔵関係の書類を発見しました。
お知らせ 1  横浜日独協会の例会で「ベルリンオリンピックの証人」の講演を行います。 
横浜正金銀行、北村孝治郎の証言を探して  北村孝治郎の書物を探すエピソードに、彼の発言に関する貴重な資料を加えました。 
「スイス和平工作の真実」その後 更新  藤村中佐関係の新事実を追加しました。(友岡教授との関連、藤村のサインの秘密発見) 
筆者の藤村中佐の探求は続きます。
 
杉本勇蔵の体験した戦前、戦時下のハンブルク  隠れた”大物”発掘。豊富な資料で紹介します。あわせてハンブルクの邦人社会を初紹介。 
外務省嘱託、友岡久雄教授の体験した欧州戦争  東大新人会、昭和研究会のメンバーであった友岡教授が欧州が欧州に派遣され、ドイツの敗戦までを体験。 
戦時下ドイツの日本食レストラン「あけぼの」の写真発見  長年探していた戦時下の日本食レストランのまさに”幻の”写真を見つけたエピソード。 
戦時下の欧州邦人、気になる人 第3回 “語学将校“遠藤 悦 「光は東よりをアップしました。 
ベルン、1945年8月10日  スイスベルンの日本公使館が、スイス外務省にポツダム宣言受諾を伝える様子を再現。 
戦時下の欧州邦人、気になる人 第2回 大佛次郎の「終戦日記」に出てくる浅井一彦(満州重工業)について調べてみました。 
日本女性初、冬季五輪出場の稲田悦子とベルリン日本人会の夫人  12歳で冬季五輪に出場した少女と、ベルリンの夫人の交流にまつわる小さなエピソードを紹介。 
スイスを愛した日本人 戦時中スイスで活躍した3人の日本人ジャーナリストを中心に、当時のスイスを中心とした情勢を紹介。 
スイス国境を目指して(第2部) 入国を果たせなかった人  ドイツ敗戦前後、スイス入国を目指したが果たせなかった人をまとめました。 
戦時下の欧州邦人、気になる人 第1回 筆者が長年の調査の中で、(書籍などを通じて)出会い、忘れられない人物を紹介。(初回はビュルガー・ジェンヌさん) 
靖国丸、欧州引き揚げ船の全記録 船客であった加藤綾子さん、眞一郎さんの証言、日記を交えてその航海を再現。 
ベルリンオリンピックの証人  1936年ベルリンオリンピックの記録映画に映る日本人少女。彼女が記憶するベルリンオリンピック
を貴重な写真を交えて紹介。
 
井上まゆみさんのローマからのラジオ放送 1942年4月、ローマでのラジオ局で井上まゆみさんがムッソリーニの日本大使館訪問について語った内容を再現。 
日本郵船 欧州航路を利用した邦人の記録  日本郵船の欧州航路を利用した人の回想を船ごとにまとめ、当時の渡欧の姿を描いてみました。 
辻(伊藤)正義さんの体験した戦前のベルリン、モスクワ  戦前のベルリンに加え、モスクワも体験するが、お父さんの死去でモスクワより日本に帰国。 
山路(重光)綾子さんが体験した戦時下の中欧  オーストリア、ブルガリアで戦時下の暮らしを体験、スイスで終戦を迎える。後に駐ソ大使夫人となる山路綾子さん
の体験した欧州を紹介。
 
光延東洋海軍武官一家が体験した戦時下の欧州  戦時下にローマ、メラーノ、ドレスデン近郊、ベルリン、コンスタンツ、バードガスタイン、フランス、アメリカと
避難した光延家の足跡を証言と写真で紹介。
 
阿部勝雄中将の日記に見る光延一家  日独伊軍事専門委員であった阿部勝雄中将が、光延一家に絶えず気を遣っていたことが日記から読み取れました。 
写真館  各論文の中で使用した写真を一か所で見られるようにしました。未公開写真も数多くです。 
日本人小学生の体験した戦時下のイタリア 戦時下のイタリアで暮らした日本人の足跡を証言と写真で紹介
日本人小学生の体験した戦前のドイツ   戦前のドイツ、とりわけ日独交流の様子を証言と写真で紹介
藤村義一 スイス和平工作の真実  研究論文、一海軍中佐がスイスより米内光政海軍大臣に和平を勧告 
「スイス和平工作の真実」その後  論文を発表して以降の補足事項、新事実など 
関口俊吾   戦時秘史、フランスに留学した画家関口俊吾は海軍の特務艦で極秘帰国  
戦時日欧横断記 戦争中、日独間の連絡を試みた邦人の記録 
徳永太郎.下枝−若い外交官とその妻は、いかに欧州戦争を体験 したか?  若い外交官夫妻の体験したスイス,ドイツと欧州戦争 
ベルリン日本人会と欧州戦争  欧州戦争を日本人会/日本食という側面から捉えてみました。 
戦時下の日本とスイスの交易は中立違反?  「スイスが大戦中日本と資金取引」 「敵国支援」という刺激的な見出しが新聞に出ました。 
日本人和平工作の一次史料による検証  「スイス史研究会」会報用に書いた邦人和平工作の簡潔な年代記
スイス国境を目指して   ドイツ敗戦直前、入国査証のないままスイス入国を目指した邦人の記録

全体目次
◆史料
【基礎】 HPの狙い  史料館 人事 参考文献 スイスの書物中の邦人 ベルン1945年8月10日 邦人名簿 休眠口座
◆ブログ記事
日本の一文 杉原千畝展  軽井沢の洋館 旧スイス公使館深山荘 戦時下横浜の外国人 横浜山手町今昔 横浜刑務所で終戦を迎えた外国人
◆作者のノート 1
【苦労話など】 Yahoo  わがリフレッシュ休暇 史料求めて三千里 先駆者 上智の桜   
作者のノート 2
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