茶道を楽しむ    表千家不白流 清風会師範 石原宗牛

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B 抹茶を頂こう

 表千家不白流とは


表と裏


 ところで、表千家、裏千家と云う名の起こりは何か、前項まででおわかりになったことでしょう。

 千利休の茶道を代々引き継いでいる千家一族。だから千家の茶道と呼びました。

 そして利休の孫宗旦(三代宗家)の次男宗守は、武者小路通りに官休庵を設けます。三男宗左が、宗旦から不審庵を受け継ぎ四代宗家となる折、宗旦は隠居します。隠居するにあたり、それまでの茶道活動をいとなんだ不審庵の北側、即ち裏側に今日庵を設け四男宗室と暮らします。

 人は、この様を眺めるに、四男宗室の茶道をお裏さん、このお裏さんに対し三男宗左の茶道を表さんと呼びかわします。そして武者小路通りに官休庵を構えた次男宗守は武者小路さん、これが世に定着し「表千家」「裏千家」「武者小路千家」と、三千家の呼称が生まれます。

 思い返せば、川上不白が命ぜられて江戸に千家の茶道を広めると人はこれを江戸の千家と言い交わし「江戸千家」の名が生まれます。

 俗称が定着したものです。


 よってこの四家はそもそも千利休家の茶道として一つのものだったのだと私はあらためて納得する次第です。

(2010/10 石原宗牛。 参考資料イ;「川上不白茶中茶外」寺本界雄、 参考資料ロ;「茶の湯事件簿」火坂雅志、 参考資料ハ;三千家各HP)

 

 裏千家今日庵

 表千家不審庵