茶道を楽しむ 表千家不白流 清風会師範 石原宗牛
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表千家不白流とは
維新に震災と戦災
川上不白の江戸千家を継ぐ流派は、明治維新、関東大震災を経て、戦前の段階で以下の流派がありました。
江戸千家 川上家池之端派
川上家浜町派
川上渭白派
川上宗吾派
石塚派
中でも日本橋浜町に居を構えていたことから呼ばれた浜町派は、江戸千家の名門です。五代宗家の蓮心斎宗順は、財界の名士を門下に入れ明治期の茶道興隆に貢献します。
例えば、
馬越恭平(恭翁);多くの会社役員を努めた実業界の巨頭
藤原暁雲;王子製紙社長、商工大臣、軍需大臣
山下かめ;山下汽船社長夫人
野崎幻庵;三越社長、中外商業社長
特に、鎌倉時代の美術品、三十六歌仙絵巻切断事件で有名な、偉才の実業家である益田鈍翁男爵も門下です。
他家も似た様な苦難に遭い、太平洋戦争を経ると、江戸千家は、池之端派だけとなる有様です。
浜町派に、秋本宗意が現れます。
秋本は江戸千家浜町派の再興を願います。宗家子孫を探ると、五代宗家宗順の孫(六十七歳)が京都に住まうことを探し当て、七代宗家宗順に襲名させます。
この折あわせて、これまでの「江戸千家」浜町派を改名し「表千家不白流」とし、高円寺(杉並区)に構えます。
これで終わらず秋本宗意は、絶えた他の江戸千家流派の復興も図り、渭白派、石塚派を再興させます。宗吾派はとうとう探し当てられなかった。
さて、秋本宗意は、再興させた七代宗家「表千家不白流(白和会)」から身を引き、もう一つの「表千家不白流(清風会)」を大久保(新宿区)に起こして家元となります。
(2010/10 石原宗牛。 参考資料イ;「川上不白茶中茶外」寺本界雄、 参考資料ロ;「茶の湯事件簿」火坂雅志、 参考資料ハ;千家各HP)