茶道を楽しむ 表千家不白流 清風会師範 石原宗牛
ヒチコックの紅茶
2012年正月、私の年頭の挨拶状には、
「被爆国日本は被曝に無知な国になっておりました」
と、木版で擦りました。
被曝に無知な国とは。
a シーベルト、ベクレル、という聞かない単位
b 法定伝染病ならぬ法定被曝量が我が国に定まっていると
いうのに被曝しても許容放射線量基準が判らない事
c 原子力発電の核の燃焼から発生する燃えカスは放射性物
質でありながら、この処理方法が無い事
d 原発の運転はスイッチひとつでは停止出来ない事
e 原発が壊れると近寄れず、修理が出来ず、この間、
放射物質が飛散する事
などなどに無知で、困惑するだけ、隠すだけで深い理解に至らない国という事です。 教科書では「原発は、クリーンで安全な発電」と教えてきました。太平洋戦争下の軍部、隣のやくざ国家と違わぬ恥ずかしさ。 これが、世界に名だたる世界で唯一の被爆国日本の実態でありました。
飛散した放射性物質のひとつに放射性セシウム137があります。 中部大学教授 武田邦彦 先生のサイトにこんな記述があります。
「放射性セシウム137の、成人-経口での50%致死量
は、0.1ミリグラム程度。
これに対してミステリードラマで有名な青酸カリは、
同じく成人-経口での50%致死量が200ミリグラム程
度です。だから、この怖い青酸カリよりも放射性セシ
ウムの方が約2000倍ほど毒性が高いのです」
と。驚きです。
「先ず除染から」を云うのはここにあります。除染せねば復旧修理にも出向けない。だが、そもそも除染は出来るのだろうかと私は悲観します。
レイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」を思い出します。農薬や化学薬品が生命を破壊する事を科学的に検証、発表し世界に環境問題を認めさせた本です。発表された1962年当時は公害という言葉が生まれていたろうか?という時代にです。
環境汚染問題に関して世論はまだボンヤリしていたろうに、よくぞ追究していたものです。
他方、被曝の先駆者日本国民は、この間、何をして来たのだろう。単に電力が欲しいだけで、絶対に壊れてはいけない危険な原子力発電所を、遠く田舎に作って来た。
戦争したいがために、自ら兵となるのでなく他人を徴兵する様にです。
だが、今や。
遠く田舎に追いやっていたと思っていたのに。
ヒチコック映画「汚名」のシーンの様に。
知らないうちに、紅茶に微量のヒ素を混入され日々飲まされ、自然死にみせて殺人される恐怖の様に。
福島から遠く、神奈川県丹沢の美味しい水で茶を喫する私のこの幸せは、もはや、この身をむしばむ一服であるのか、と今や思う。
(2011/12/30 宗牛)
D 美味しい水
中部大学 武田邦彦 サイト