Cherubの「つれづれ寸評」



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2月3日

  「女性は子供を産む機械」という柳沢厚生労働大臣の発言に唖然とした。例え話だったと弁明するが、「産む機械」とは・・・。弁護する余地のない発言である。

◆ことばはその人の教養や品性を表す。こういう感覚の人が、国民の厚生、労働行政をつかさどる重要な任務についていることはまことに情けない。このよな人を罷免できないようではもう安部内閣に何も期待はできないのではないか。

◆女性の中には、産みたくても産めない人もいる。また、女性が頑張れば子どもが増えるわけでもない。女性の人格をないがしろにした発言であり、事の本質を見失わないようにしなければならない、と思う。

◆産みたい人が安心して産める環境づくりをするのが政治の果たすべき役割であろう。どんな政策が有効なのか、真当な見識を持った人による議論を期待したい。


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2月25日

 赤ちゃんポストということばに衝撃を受けた。病院側は「こうのとりのゆりかご」といっているが、ポストという表現はいただけない。 育てられない新生児を匿名で引き取るために、熊本市の慈恵病院が命が救えるならと、ドイツの例を参考に「赤ちゃんポスト」を設ける計画を立てた。 これに厚生労働省は容認する見解を示したことから、この計画は実現されそうだ。

◆中絶に厳しいドイツでは不本意な妊娠で赤ちゃんを捨てる親が後を絶たないことから、2000年にポストが導入され、現在90カ所を超えるという。 早くも全国から利用したいとの相談が寄せられているらしい。 安易な子捨てや育児放棄を助長するものであってはならない。 自分本位の育児放棄は許せないが、何をおいても小さな命を救うための工夫としてはやむを得ないこととしても、子の命と将来を預かる責任は大きいと思う。 誰がどのように育てていくのか。 「こうのとりのゆりかご」に救われた子が大きくなって幸せと思うように育てていかなければならないという重い課題がある。

◆少子化社会となった今日、子を捨てることのない社会こそが求められている。 いろいろな事情はあるにせよ親の安直なふるまいが、多くの子を死の危機に追いやっている。 社会全体で子育てをしなければならなくなったといえよう。 あすの豊かな日本のためにも、幸いにも子を授かった人はわが子の親として、子に恵まれない人は里親として、一人でも多くの人が子育ての楽しさと幸せを味わって欲しい、と思う。



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