Cherubの「つれづれ寸評」



◆バックナンバー◆


7月15日

  大分県で起きた汚職事件は、全国に大きな衝撃を与えている。現職の校長や教頭らがわが子の採用を求めて、あるいは校長や教頭への昇進人事に便宜を図ってもらおうと、現金や商品券などを教育委員会の幹部に贈った。わいろを贈った側ももらった側も全員が現職の教職員だ。あきれたことに、金品が飛び交う不正行為が慣習化していた。不正の波は広がる一方で、未曾有の教職腐敗の様相だ。

◆驚くべきことに、合格者の半分ほどに不正があったという。不正は合格に満たないのに点数をかさ上げして合格させた。一般受験者については合格のはずなのに減点して不合格にしていた。約10人もいたとされる。本当に許し難い行為だ。教員となる道を閉ざされた受験者に対し、早急に謝罪し、救わなければならないのではないか。それと同時に、不正に採用された教員の採用を取り消し直ちに免職すべきだ。また、当然のことながら、不正に昇任した校長らは懲戒処分にすべきだ。

◆それにしても、今回の汚職の構図には驚かされる。教育界はかなり閉鎖的な社会だ。教師の子弟は教師になりがち。教師同士の結婚も多いようだ。それがまた人脈を広げる。そこに義理や人情が働く土壌ができるといえよう。強すぎる師弟のきずなや身内意識、学閥の弊害も指摘されている。コネや癒着がまかり通っている、とのうわさが絶えないだけに、自らを厳しく律し、人事の透明化を図ってほしいものだ。

◆子どもたちへの影響の大きさを思うと愕然となる。教師は子どもたちに道徳を教え、真実や正義を説く立場だ。なのに、舞台裏で不正を繰り返し、罪の意識がまったくなかったというから嘆かわしい。こんなことで健全な教育ができるのだろうか。

◆縁故採用や情実人事が横行してはならない。不正行為の入り込む余地をなくすために、必ず複数の目を通すべきだ。教職汚職はこれが初めてではない。教育に携わるすべての関係者は深刻に受け止める必要がある。「教育の腐敗は国を滅ぼす」ということを肝に銘じて、これを大分の特殊な事件にしてはならない、と思う。

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7月25日

  どうしたら身勝手で理不尽な凶行を断ち切ることができるのだろうか。むごい通り魔事件に強い憤りを覚える。東京都八王子市の駅ビル書店で女子大生の尊い命が奪われた。アルバイト中に無差別殺人の犠牲となった。あまりにもむごい。

◆今年になって残忍な無差別殺人が目立つ。3月に、茨城県土浦市のJR荒川沖駅で、24歳の男が通行人などを無差別に刺し8人が死傷。6月に、東京の秋葉原で、25歳の派遣社員の男が歩行者天国でにぎわうところにトラックで突っ込み、その後通行人を次々と刺し17人が死傷。なぜこうも無差別殺人が続くのか。

◆いずれの容疑者も、誰でもよかったといい、短絡的に殺人に及んでいることが共通で、自己の不満のはけ口として凶行に走っている。 そこには人としての理性がなく、周りの迷惑に思いが至らない幼稚さがある。身勝手な凶行を許さないという毅然とした社会の姿勢が、今、問われていると思う。いまこそ、われわれ一人ひとりが「人は一度死んだらもうそれきりだ」ということを社会教育としてアピールし続けなければならないのではないか。命の尊いことを訴える。その必要さを強く感じる。

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