Cherubの「つれづれ寸評」



◆バックナンバー◆


6月3日

 四方、檜に囲まれての生活も2週間が過ぎた。プーンと漂う木の香り。森林浴をしているあの心地よい気分、爽快感に浸っての生活はワンダフルの一言である。 木の香りであるフィトンチッドがストレスをやわらげて、身も心もリフレッシュさせるらしく、気持ちがいい。新鮮だ。

◆合成樹脂を材料とするものが多い新建材で造られた家は、見栄えはいいものの何となく冷たさがある。けれども、自然の中で育った木を使って建てられた家は暖かさがあり、温もりが感じられる。

◆気持ちのいいことは全身に良い影響を及ぼすもので、頭の回転も良くなり、快眠、快便、快食の日々。とても幸せである。気持ちのいいものに囲まれて、一緒にいて気持ちがいい人と生活することは心身ともに爽快で素晴らしい。

フィトンチッドってなんだろう?

フィトンチッドと森林浴について

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6月24日

 このほど再審が決定した「足利事件」で、再審に至る道のりの険しさを改めて知るとともに、誤判によって再審裁判が行われ、無罪判決を言い渡された冤罪事件の多いことに驚いた。
 調べてみると、法務省が無実・冤罪の疑惑があると認識している事件が結構あるのだ。けれども、裁判所は再審請求をなかなか受理しない。 こうした現状をみると、裁判所が再審請求を受理しなければならない条件を法律で定めることも必要なのではないかと思われる。
 冤罪が判明してから真犯人を追求しようとしても、時間の風化によって摘発できなかったり、公訴時効が成立していたりする場合が多い。その結果、真犯人が不明なままだったり、法の裁きを受けないままとなる。

◆足利事件では唯一の物的証拠だった「DNA鑑定」が新しい鑑定技術の下で覆され、再審開始の決定となった。 誤判はあり得るということだ。 足利事件の再審において何がこの冤罪を生んだのか。 誤判の原因を究明するべきだ。贖罪にもつながる。
 いつどんな場合でも、無罪判決が確定しても警察は「捜査は適切に行われた」のコメントだけだ。 原因を追求したり関係者を問責したりした例は皆無である。 だから、裁判で徹底的な真相究明を行わなければ、同じ悲劇が繰り返される。
 裁判官は、二度と過ちを起こさないためにも、過去の裁判の過ちを自らの過ちとして真摯に受け止め、一遍の謝罪ではない心の底から響く裁判官の謝罪を聞きたい。 また、冤罪をなくすためには捜査のあり方についての見直しや取調べにおける全ての可視化は避けて通れない。

◆冤罪を生む要因として自白の偏重、科学捜査への過信、思い込みによる捜査などが挙げられている。 冤罪とされた事件では、警察による思い込みの捜査で逮捕し、犯人に仕立てており、そして、検察は警察の調べ方を精査もせずに裁判にかけている。本来、公正であるべきる裁判所も起訴事実を疑うこともしないで、供述調書を重視した判決をしているのが多い。 自白偏重が生んだ冤罪は後を絶たないことに裁判所はもっと危機感を持つべきだろう。 また、刑事事件における弁護人も国選弁護人が多く、被疑者の真実を深く追求もせずだ。よほどのことがない限り事務的に裁判は行われているのであろう。

◆裁判所には人を裁くことの重みを考え「疑わしきは被告の利益に」という原点に立った行動をしてもらいたい。 心証は裁判官それぞれで違うもの、十人十色だ。判決において、この心証が大きく左右する。 それだからこそ、再審請求に対しては少しでも不審な点があれば調べなおしをするという謙虚な姿勢が求められる。 裁判所は無実を叫び続けている人に対して素直でなければならない。
 裁判員制度はスタートし、この8月から裁判員裁判の審理が始まる。裁判所が自らの問題点を指摘することがないならば、裁判員の中には「自分も誤った判決をし、冤罪にかかわるかもしれない」という不安心を抱くであろう。裁判所はこうした不安の払拭に心しなければならない、と思う。



*心証とは
   訴訟事件の審理において、裁判官が得た事実の存否に関する認識や確信をいう。

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